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もーもー夫婦♪ 2010/01/04(月)
昨年は牛のかぶりもんでいってみました。一部からは好評をいただいたのですが、さていかがでしたでしょうか? しかし、昨年1年間は色々ありましたわ。何から書こうかなぁ、と考えてしまうくらい。 一番大きかったんは、やっぱり40にして父親になったことかなぁ。昨年10月27日に第一子である長女友梨(ゆうり)が誕生いたしました。3690gの大きな赤ちゃんで、現在2か月を過ぎてすくすくと育っております。すでに5700gを超え、首ももうすぐ座るんちゃうかという勢いで、最近の子は育つのが早いな、と感心しています。 一昨年の司法試験合格後、試験に受かってからにしようと言うてた子作りに取り組んでいたのですが、いざ作るとなると思うようにならんもんで、去年の今頃はもう子どもでけへんのとちゃうかとか、そんな話をしていた記憶があります。 毎月、このタイミングで妊娠するっちゅうのを嫁さまがチェックしていたのですが、なんかヒットポイントは2〜3日くらいしかないみたいですね。2月のいつやったかなぁ、今週がヤマや!という話になり、ふらふらになりながら頑張ったのですが、その後妊娠検査薬と診察とでご懐妊が判明し、我が家に妊婦が誕生したのでした。 その後、後で書くように嫁さまのご両親を引き取る形になり、しかもちょっと大変やったというのもあって、そのうえ僕が8月9月と集合修習で自宅を離れていたもんやから、およそ安らかな雰囲気で妊婦生活を送るなんてことは望めず、ほんまそれでよう無事安産で子どもが生まれたなぁ、とつくづく思う次第です。去年1番よう頑張ったんは嫁さまに間違いないです。嫁さま、お疲れさま。おおきにありがとう。(^^) そのご両親ですが、去年の2月、まだ第2クールの民事裁判修習真っ最中の金曜の帰りやったと思うけど、嫁さまから電話が入り、お義父さんが倒れはったというてわんわん泣いているので、こらただ事やないな、と思い、タクシー飛ばして帰ったのを覚えています。 聞くところによると、仕事中に頭が痛いといって倒れはったそうで、診断の結果、脳卒中と脳梗塞を併発されたとか。生存率2%といわれ、相当危険な状態やったのですが、手術は無事成功し、一命は取り留めはったのでした。 その後、果たしてどこまで回復するのか、寝たきりになるのか、リハビリができるようになるのか、予断を許さぬ状態が続いていたのですが、障害が残ったわりには肉体的な麻痺などは出ず、その内自分の足であちこち歩き回るようになり、気管切開も閉じて自力で食事を摂るようになったので、今度は病人ではなくなり、さりとて言語障害があってコミュニケーションが取れないということでリハビリができず、完全にエアポケットにはまり込んでしまったような状態になり、入院していた病院を追い出されるようにして転院したのでした。 いわゆる徘徊状態になったので、一般の病院では面倒が看きれないということで精神病院に転院させられたのですが、転院して3日ほどで痴呆の症状が出だしたので、これはまずい、ということで、急遽退院させ、自宅に引き取る形になったのでした。 しばらくは義母が夜中に徘徊する義父に付きっきりで面倒を看ていて、これでは介護する側がもたへんわ、と思っていたのですが、最初にかかっていた病院が診断書やらことごとく出してくれなかったので、夏の間は介護認定も下りず、施設に入れなかったので、僕が留守にしていた間はほんま大変やったみたいです。 秋頃から近隣の施設のデイサービスやショートステイを利用することができるようになり、こちら側の負担もグッと軽減され、お義父さんもうちにいるより施設に通う方が色々と刺激があってある意味リハビリになっているようで、まだコミュニケーションを取るのは難しい状態ではあるけれど、最初の頃に比べたらかなりよくなって来ているなぁ、という印象ではあります。 食事も自分できちんと摂れるし、多少落ち着きがなく今でも徘徊状態は残ってはいますが、知らない人が見たら気がつかないかも、という感じではあります。1年で症状が固定されるというので、今年の春頃にどうなってるかなぁ、という気がしています。 そんな感じで、お義父さんが倒れはったのですが、それが、妊娠がはっきりしてから連絡しようと思っていた矢先やったので、こんなことならもっと早いうちに連絡しておけばよかったと悔やまれたのでした。結婚してから5年、ずっと楽しみに待ってはったようなので、申し訳ないなぁ、と。 でも、一応孫が誕生したということはなんとなく分かってもらえたみたいで、友梨を抱き上げてもらって写真も撮ったし、1つ親孝行ができたかな、という気がしています。 それから、自分のことですけれど、司法修習は無事に終了し、昨今不合格者増があれこれ言われている二回試験も無事クリアし、昨年12月に大阪弁護士会所属の弁護士になることができました。 正直なところ、自分が上から数えて何番目の高齢者やとは思ってもいなかったし、大方が一回り以上下の若い人たちで、なんとも居心地の悪い思いを1年間抱いておりましたが、同年代で所帯持ちの人たちとも知り合いになれたし、若くても人間的に素晴らしい人とも知り合いになれたし、それはそれでよかったな、と思っています。 当初は、就職も厳しいと聞いていて、実際僕のような年いった人間はなかなか採ってもらえないという話を聞いていたので、ツテを探してアプローチするやり方を採っていたのですが、結局これといったツテを得ることができず、やむなく自前の事務所で登録をしたという状況です。 まぁ、就職できない人も多いのならしかたないなぁ、と思っていわゆる即独の道を選んだのですが、入会式の時に配布された新人弁護士の所属先を見て、大方が就職先を確保しているのを見て、え、そうなん?と思った次第。 どうやら情報獲得ルートの構築に完全に失敗したようで、聞けばまだ求人もあるということらしく、それなら再度就活をしようと、ただいま就活継続中の状態です。 そんな感じで、傍目から見ると、子供もできたし弁護士にもなれたし、いい1年やったんちゃうの?という感じではありますが、義理の両親を引き取ったことや、家計が苦しい中、実入りが全くないのに当面の生活をどうするのかという問題があることなど、そういうのをひっくるめて考えると、相当厳しい状況やなぁ、という気がしています。 去年の暮れからは本当に毎日精神的に辛くて、起き上がるのも辛い日があったりと、ほんま今が一番の底やなぁ、という感じで、でも、自分がなんとかせんとなぁ、と思いつつ、とにかく先に進むしかないな、とふらふらになりつつも腹をくくって一歩一歩先に進んでいるというところです。 来年の今頃は思い出話ができるのか、はたまた生活が破綻しているのか、全く予想だにできませんが、ま、最後はなんとかなるわ、といういつもの姿勢で、ボチボチやっていこうかな、と思っています。 最近は友梨もだいぶしゃべるようになってきて、笑うようにもなっているので、その笑顔や寝顔を見ると、お父ちゃんまだまだへたってられへんわ、と発憤している次第です。 去年の正月には、来年の今頃はいい報告ができますように、と書いたけれど、まぁ、いい報告もできたかな程度ですよね。来年こそは1年を振り返ってよかったと言えるよう、頑張ろうと思います。 |
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