易占で粒焼 1999/04/18(日) |
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離為火の五爻辺、天火同人に之く
新たな段階に踏み出すときであり、新たな関りが始まる。問題はその関り方である。 |
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日はまた昇るといいますが、そういう状況になりつつあるというところでしょうか。「離」という字自体にも「火」という意味があるそうで、ダブル「火」ということで見通しが明るい感じです。また「離」は方角的に「南」を表すそうで、明るさに向かう方向である「南」を目指すことは頂上を目指すという意味合いもあるとのこと。
また、「離」の本質は「麗」であって、鹿が並ぶ様を表し、「並ぶ」とか「付く」とかいった意味合いがあるそうです。何かに関わる、あるいは正しく追随するということを表しています。 思うに人生、「関わり」というものを避けて通ることができません。その「関わり」も意識的に自分から関わる場合よりも、人知を超えた不思議な縁によって関わりがもたらされる場合の方がはるかに多いものです。思惑をはるかに超えた受け身の関わりの方が多いのだから、それを素直に受け止め、どう活用するかを考えるようにすればいいのでしょうね。 互卦、綜卦ともに困難が重なり、重圧にあえぎながらひたすら耐えているという厳しい状況を示しています。ただ、そういう困難を自らクリアして初めて新たな展望が開け、理想的な関わりをもてるようになるのだと思います。誠実に対応すれば、いずれ思いは通じると出ています。踏ん張り時ですね。 人間関係だけでなく、様々な関わりの中で、理想的と言えるものは本当に少ないです。自分とは違うものと接するわけですから、程度の差こそあれ様々なズレが生じて当り前だと思います。縁を大事に思うならば、もうええわって無視するのはなかなかできないものです。特に大切な関わりの場合、簡単に投げ出すわけにはいかない。しんどいけれども正面から取り組まなければならない。どう折り合いをつけるか。そのためにはまず自分がどうしたいのか、自分の真実を見極めなければならないと思います。「他」と相対する「自」の確立という感じですね。 新しい関わりというのが、知らない何かとの関わりが生じることなのか、それともこれまでの関わりの中で新しい展開があるということなのか、それは人それぞれだと思います。ガラッと変わるのか、すこしずつ変わるのか。いずれにせよ、安易に表面的にサラッと流すようなのはアカンいうことなのでしょう。なかなか厳しいですが、自分の真実に照らして他との関わりを見極めなければならないのでしょうね。 私自身ここ数ヶ月、実質的には一年以上、人との関わりについてあれこれ考えていました。色々ジタバタしてみて、結局自分次第やな、というところに落ち着いています。人がどうとかやなくて、自分はどうやねん、という感じですね。なんか、こう周りをいじろうとしていたのを、今は自分のことだけいじればいいんやな、いうのが分かってきて、すっきりしています。自分のことをなんとかするのは簡単ですから。 ジタバタしたがために周りにエライ迷惑かけましたが、この場を借りてお詫び申し上げます。私の場合は決してスマートなやり方ではありませんでしたが、これをお読みの方はぜひうまくクリアして欲しいな、と考えております。同じところに落ち着くとしても、やはり誰もが納得する方法が一番やし。自分が引いたらその時はちょっと悔しかったりするけど、後で何もかもうまくいったら一番嬉しいのは自分やないですか。長い目で見て、先のこと、そしてそれを支える自分自身を信頼して頑張りたいものです。 ほな、また。 |
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