易占で粒焼 1999/03/21(日) |
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水地比の初爻変、水雷屯に之く
互いに打ち解けると、そこに不思議な力が働くものであり、それを活かせばますます事態は好転する。親しくしていなかった者も集まって来る。しかし、浮かれて自分を見失うようなことがあれば、災いをもたらすような者まで近づいてくることになる。 |
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この卦の本質は、互いに親しみ、近づき、助け合うことです。これは対になっている地水師の意味する「衝突、争い」と合わせて意味を汲んでみるといいみたいですね。両者それぞれが言い分を隠さずに出し合い、それを経て初めて打ち解け、以後わだかまりを捨てて親しくなる、という風に捉えればいいのでしょう。中には衝突したままということもあるみたいですが、いずれにせよ、中途半端な状態から解放されるのだと思います。落ち着くところに落ち着く、いうことでしょう。
私自身ちょうど人間関係であれこれ考えているところなので、なるほどなぁ、と思うことしきりです。別に個人的な問題を思い浮かべながら易を立てているわけではないのですが、不思議なものですね。 それはともかく、わだかまりが溶けて、うまく行くんだな、と素直に喜んでいたらいいと思います。誰にでもしんどいことってつきものですが、それを何とかできる状況にあるということで、いいことじゃないですか。おまけに良い状況がどんどん膨らむような感じですし。僕自身のことでいえば、思いもしなかった知り合いができるのかもしれません。最近、ぼちぼちリンク貼って下さる人が出て来たのもその現れかも。 ただ、良いことばかりではなくて、いい気になっていると、打算的な人や、日和見主義者の人が関わってきて、せっかくのいい状況を台無しにしてしまいかねないみたいです。楽しくワイワイできるのはいいけれど、浮かれていてはいけないよ、ということですね。疑心暗鬼になってしまっては良いものとの関わり自体が難しくなるし、かといっていい気になってハイハイ言っているのもいけない。難しいところです。自分の在り方はこうと決めて、後はその時その時の状況に柔軟に対応するようにすればよい、というところでしょうか。予想通りにいかないことは多々あることですし、あまり型にはまった見方をして、ぎくしゃくしないよう気をつければよいでしょう。「〜過ぎ」に気をつけ、自戒の念を忘れないように。自分自身に対しても言い聞かせたいことです。 なんにせよ、表面的なごまかしではアカン、いうことです。打算とか理屈とかを超えて、心と心とか自然と通い合うようになれば最高ですね。 ほな、また。 |
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