月別:2003年03月
  • 2003/03/05

    雑文

    さてさて、引き続き後期試験の分を掲載いたします。(問題)次のテーマのうち一つを選び、エッセーを書け。数、0、1、2、3、∞、マイナス、加法、乗法、虚数、空間、点 ...

  • 2003/03/03

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    お〜、CGI化して雑文を量産するんやったんちゃうの、たけちゃん。すっかりさぼっておりました、ほんま。最近日々粒をせっせと書いて皆勤賞なので、それなりに頑張ってる ...

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 さてさて、引き続き後期試験の分を掲載いたします。

 

 (問題)次のテーマのうち一つを選び、エッセーを書け。

数、0、1、2、3、∞、マイナス、加法、乗法、虚数、空間、点、線、面、境界、波、泉、渦、円、式、球、近似、極限、ベクトル、指数、相似、合同、回転、角、距離、移動、変換、関数、写像、座標、4、5、7、13、無限小、無限遠、平行、垂直、射影、切断、部分、論理、否定、逆説、集合

 (ちなみにこの中から「加法」を選択しました)

 

 (まろたけのエッセー)

「加法」

 何かを加える、これは大まかに良いことを加える場合と、悪いことを加える場合とに分類することができます。一般に人は良いことを加えたいと思い、悪いことは加えたくないと思います。中には悪いことを加えることも人間に幅ができていいという人が(かなり多く)いたり、良いことを加えたって割が合わないとぼやく人がいたりしますが、ここでは話を絞って良いことを加えたいと思う場合と、悪いことを加えたいと思う場合について考えてみたいと思います。

 

 悪いことを加えるというのは簡単なようで結構難しい。理性を捨てればすぐにできそうですが、実はその他に「勇気」という重大な要素があるのです。勇気がなければ理性は捨てられません。いや、なくても計算の早い人間なら可能かもしれません。全く自分の言っていることに一貫性がなくてどうしようもありません。このようにどうしようもないという悪いことを加えることはどうってことがないのです。

 

 逆に良いことを加えるということは大変難しい。自分がいくら良いことをしようと思ってもまわりが「あかん」と言えばおしまいですから。なかなか努力をしても良いことを加えることは大変なのです。

 

 このように、悪事を加えるのは簡単なので問題ありませんが、良いことを加えることは大変なのです。ではどうすればいいか。毎日きちんと睡眠をとることが肝要です。「果報は寝てまて」。(お粗末)

 

(まろたけの好評)

 ひどいな、こりゃ。こんなん載せて恥ずかしくないのか、とつっこまれそうですが、そやからこそタイトルが「恥ずかしいエッセー」となっているのでした。

 

 ん〜、しかし、これ原稿やから実際はもちっとマシなん書いたんちゃうかなぁ。そうであって欲しい、と思うんですけどね。どう考えても最後の「果報は寝てまて」をパッと思いついて、無理矢理「加法」とつないだって感じですね。載せたはいいが、ちと後悔しております。

 

 でも、ここんとこ不規則な生活が続いているので、「睡眠をきちんととる」というのはええことやなぁ、としみじみ思うのでした。

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 お〜、CGI化して雑文を量産するんやったんちゃうの、たけちゃん。すっかりさぼっておりました、ほんま。最近日々粒をせっせと書いて皆勤賞なので、それなりに頑張ってるな、と大目に見たってください。あきませんか。

 

 さてさて、今回は学生の頃の恥ずかしい文章が出てきたので二回に分けてお送り致します。

 

 京都大学に通っていた頃、まだ森毅先生が教養の方で数学の講義をしてはったんですね。教養のE号館やったかなぁ、あの辺の中庭で学生が車座になってあれこれ議論するのに先生が混じってあれこれしゃべってはる、というのは有名でした。変なんが多かったから僕はあんまり行かへんかったけど。みんなといっしょというのが嫌なんは昔からそうで、そういうメジャーなんはやらんとこ、と思ってたのでした。

 

 それはさておき、森先生の数学4の講義は取ってたんですね、二回生の時。京大画報なんかで、先生が窓から答案用紙を撒いて、遠くだか近くだかに落ちたんを合格にする、というほんまか嘘か分からんような噂が描いてありまして、ほんまやったらおもろいな、と思って取った次第。実際はちゃんと採点してはったみたいですけど。ちなみに後で載せるエッセイと合わせて通年で70点ついております。ん〜、不可の59点、後は70点、80点なんて感じちゃうんかなぁ。下手したら80点もなかったかも。とても70点もらえる内容とは思えん。

 

 それもさておき、前期試験の問題と自分が書いた論文の下書きとが見つかったので、それを載せようか、と思っているのでした。今でも大した文章書いてないのに、10年ちょっと前はさらにひどい文章を書いてたんですねぇ。ほんま進歩しとらんわ、とちょっとへこんだのでした。

 

 なお、途中で名前や地名を伏せたりしてる部分がありますが、ここは同級生のS君の名前と実家が本来入ります。さすがにそれはまずいかな、と思って伏せておきます。地元の人なら大体分かるかも。ではでは、恥文をごらんください。そうそう、それは漢字で書かんとあかんやろ、送り仮名間違ってるで、というのもありますが、原文のまま載せておきます。

 

 (問題)どこかの地域と時代を選び、その文化と数学との関連について論ぜよ。

 

 (まろたけの論述)

 場所は姫路を北に上がった揖保郡○○町、友人○野君が小学校にあがる頃の話である。

 

 お正月、子供にとってまち遠しいのはお年玉であり、ポチ袋に日頃触わったことがない紙のお金が入っているのを考えただけで億万長者になった気分になる。が、昭和50年の子供は最近の子供のように糞贅沢ではなかったから、大抵は親の言うがままに貯金をするのである。そして、親はこちらが知らぬ間にこっそりとネコババしていたりするのだ。私の小学校時代の貯金もうやむやになってしまった。

 

 それはさておき、○野少年はお年玉でもらった数多くの千円札を見て嬉々としていた。彼の両親は他所の子供へやるための千円札と両替えするために○野少年の千円札10枚と一万円札1枚とを交換しようとした。ところが○野少年は猛然と反発したそうだ。数の概念はあっても金銭感覚のない彼は単純に10よりも1の方が少ないと考えたのである。彼の両親は両替えをあきらめたそうだ。

 

 単なる笑い話といえばそれまでである。しかし、彼の行動は「幼い子供の損得勘定」という一般概念にひろげても全く不自然ではないし、これは原始的物々交換にもあてはまるのではないかと思う。これを文化と呼べるかは甚だ疑問であるが、岩波の辞書にある「人間の理想を実現していく精神の活動。」という解説には少なからずあてはまっていると思う。その「文化」の中には純粋な数学の概念、特に引算しかなく、「自己所有物の数」−「交換対象物の数」=正の数(得した!)又は負の数(損やんけ!)という一つの公式で表現することができる。これほど単純明快な「文化」は他にないだろう。

 

 ただこの「文化」は非常に脆い文化だ。もし、500円札を11枚渡されたら、○野少年は4500円損をすることになったからだ。僕はこんなことも考えた。千円札を二、三枚手渡したとしたら○野少年は喜んで一万円をくれたのではなかろうか。

 

 ようするにこの「文化」はそのカテゴリーの中でしか通用しない文化なのであって、その単純さゆえに他の文化との接触で簡単にわやになってしまうのだ。今回の話で言えば、「子供だまして金まき上げてもしゃあないわ。」という大人の良心に全てがかかっており、これは現在でも概ねうまくいっているようだ。

 

 ところが社会全体を見回してみた場合、ことはこう単純でなくとも良心がぽっかり抜け落ちている場面が結構あるように思う。さっきの「原始的物々交換」でも同じようなことが言えるだろう。一方でにたにたしている者がいれば、他方で夜逃げをしている者もいる。僕はそのぽっかり抜け落ちたところを弁護士として埋められたらええんとちゃうか、と不遜にも考えている。(本音としては、夜逃げの立場にだけはなりたくないな、と考えています)。

 

(まろたけの好評)

いや、講評だった。漢字で書いて然るべき字が平仮名やったり、妙に堅苦しい言い回しやったり、なんか表現が稚拙ですねぇ、見るからに。貯金がうやむやってどうやねんな。しかし、ネタとしては結構おもしろいと思う。友人S野君からたまたま聞いた話がおもしろかったので、それを元にない知恵絞って書き上げたのでした。岩波の辞書のことが書いてあるから、おそらく自宅に持って帰って書いてええよ、ってことやったんやと思う。

 

 でも、なんか時代を感じていいですね。500円札やって。具視が札やってんで、って言うたら今時の子は華原朋美が札やったんか!!なんて言いそうやな。言わんか。途中の流れがさっぱりやし、最後の段落は全然関係のない話になってるしなぁ。しかし、なんとなくもっともらしいことを書いてオチをつけてるその口八丁ぶりは昔から変わってないなぁ、と思うのでした。三つ子の魂百までですか。もちっとがんばらんと♪

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