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  • 雑文

 今日は久々に京都に車で行って来ました。叔母の誕生日というのでみんなで湯葉料理でも食うか、となりまして。ちょうどこないだナンバーズで当たったので、ちょっとおすそ分けってので私の自腹で。そう、自腹ですよ。腹肉は余るほどあるけど、ま、それはさておき自腹だったのです。なんとなく勇ましい響きですね。

 

 ちなみにもう残ってないので今さらおごれと言われても何も出ません。ちなみにその後ナンバーズはさっぱり当たっておりません。わはは。欲を出すと当たりませんね。

 

 ま、それはさておき、その湯葉料理もすっかり味が落ちてて、こんなんにお金出したのかぁ、と思うとちょっと悔しかったりする。自腹やで、自腹。チェ・ゲバラもびっくりよ。分かりにくい駄洒落や。

 

 ま、それもさておき、お口直しに、というのでもないけど、下鴨神社の近くにある加茂みたらし茶屋ってところまでみたらし団子食べに寄ったのでした。ここのはおいしいからお薦めですよ。なんか謂れがあるという、一番上の一個と下の四個とが別れて竹串に刺してるのです。多分関西ウォーカーとかの京都味巡り特集とかになると必ず載ってるはず。

 

 そのみたらし団子、ふだんは団子が三串につまようじがちょいとひっついてるんですね。つまようじで一個ずつ刺して、竹串をくりくり回すとうまいこと一個ずつ外れるという。それから一個ずつお上品に口に運ぶという。串に刺したままってのはきっと京都では行儀悪いんやろなぁ。はじめ人間ギャートルズ食いなんてもってのほかだろう。ぶぶ漬けどすえっ!!とかつっ込まれるのかもしれん。いえ、そんなことは言われません。ネタです、ネタ。

 

 ま、そんなことを考えながら、というのでもなく、今日は雨降ってるし、また出かける時に雨かぁ、と思いながらぽっちりぽっちり食べていたのでした。

 

 ふと見ると、皿に小さなスプーンが置いてある。お、こりゃ親切なことよ、と思いましたね。みたらし団子の良さ、それはひとえにあの甘辛いタレです。タレ命。団子にからまったタレもよいですが、やはり残ったタレをすくって舐めるのもよいですね。というか、そっちが本命かもしれん。ん〜、そういうみたらし団子ファンの心理をよく分かってるではないか、加茂みたらし茶屋よ、と感心しながら、心ゆくまでタレをねぶねぶしていたのでした。おいしかった。

 

 おぶをいただき、ふぅ、と一服してると、母が一言、

 

「なんであんたのんだけスプーンあるの?」

 

「え、なかった?」

 

 隣の叔母もスプーンはなかったという。そ、そういえば…。

 

 目の前には三色団子をほおばってもぐもぐしている甥っ子が…。そう、そのスプーンはつまようじではお子には食べ辛かろう、スプーンで食べなさいよ、という加茂みたらし茶屋の心配りだったのでした。か、加茂みたらし茶屋、ありがとう。いずれにせよ感心したが。

 

 ん〜、しかしだ、誰が見ていたかは知らんが、冷静に考えるとにこにこしながらタレをひとすくいしては舐め、ひとすくいしては舐めしている数えで34のおっさんの姿はなかなかに微笑ましいではないか。あの一時、三色団子に首っ丈の甥っ子とレベルとしては同じだったわけである。

 

 初心忘るべからず? 三つ子の魂百まで? 素直にうまいもんはうまいと言える大人になりたい。もう大人だった。

 

 追伸  言い訳がましいが、やつはまもなく三才になるお子だが、すでに一人でトーストを焼けるのである。立派に箸も使いこなしている。こないだは知らん内に包丁で人参をスライスしていた。冷静に考えると相当危険であるが、少なくともスプーンで納得するやつではないのである。あ、じゃあ、スプーンで納得してるワシは一体…。恥の上塗り。

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