年別:2000年
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    久しぶりに書いたと思えばいきなりこういうおっさんギャグ。行き詰まりを示すには十分過ぎる。さて、勢いでタイトルをつけたけれど、これからどうやって本文を書いていこう ...

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 しばらく閑粒リニューアル作業をしていて、雑文もちっとも書いてませんでした。日々粒もすっかりほったらかしやし。またボチボチなんか書いていこうかな、と思っています。思っていますだけ。

 

 最近は辞書も電子の時代ですね。通販のCMを見ていると、ポケットにすっぽり、どこでも簡単に調べることができます、これは便利だ、とかなんとか言うてます。実際は紙の辞書を引く方が早いやんけ、とか、電池が切れたらどうしようもないやん、とチャチャを入れておりますが、今回はそういう話ではありません。めっちゃ便利なその電子辞書で一体何を調べるのか、というお話。

 

 大体CMを見ていると、手紙を書いている時に言い回しが分からなくて調べよう、というのやら国語の勉強中にあれなんやったっけ?って調べるのやらが出てますね。そういうシチュエーションはよう分かります。僕も手紙を書く時に辞書を手放すことができません。というより、最近は漢字を忘れがちなので確認のために使うこと多々ありですが。

 

 それはさておき、テレビを見ていてですね、あんたは一体何を知りたいねん、と思わず突っ込みたくなる検索例が出て来るのが気になるのでした。

 

 とあるCMのオープニング、これが知りたかったのよとおばちゃんが差し出したその電子辞書の画面には「魑魅魍魎」の四文字が。うん、確かにそらで憶えるの大変やし、こうやって画面に出て来るのを写すと便利やね。迂闊に使って意味合いが違ったら大変・・・、ちが〜う、おばちゃん、どういういきさつで「魑魅魍魎」を調べたんや。普段の生活で使いますか、「魑魅魍魎」。姑の知られざる実体を垣間見て実家の母に伝えようとしたのか、おばちゃん。それとも他人には言えないものを見て霊能者に手紙をしたためているところやったのか。というか、そういうのを一般例として挙げていいのか、広告会社の人よ。

 

 他にも首を傾げるようなんがいっぱいあったと思う。そんなん知らんで受験は大丈夫かと突っ込みたくなる受験生が調べていた英単語。もっと他に適切な例がいくらでもあると思うのになぁ。何万語と載っているはずなのに。それとも特殊な辞書やったんかな。あるいは状況に合わせて適切な語句をピックアップしてくれる辞書やったんかも知れん。

 

 まぁ、でも、製作者サイドとしてはかなりの出来栄えであったのだろう。最後に値段とともにアップで映されていた電子辞書の画面には、「明鏡止水」の文字が満足げに映し出されていたのだった。どないやねん、っちゅうねん。あ、もしかしたら期限ギリギリまで撮り直してようやく満足のいくのができたっていう心境を表したかったんかもね。

 

 むぅ、ネタとしては面白いかな、と思ったんやけど、久しぶりに書いたのでどうも文章がパリッとしないのやった。えっと、こういう場合はどない言うたらええんかな。支離滅裂でよろしいでしょうか?

 

 やっぱり落ちませんでした。

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 そろばん塾で暗算は習ったけど、特別得意ってわけでもないけどなぁ。あ、あれは人の名前やったか、レインマン・・・。

 

 恒例の掴み損ないも無事済み、さて今回の話は僕が雨男やというのですわ。

 

 世の中にはどっか出かけると必ず雨やわ、とか、絶対晴れなんよ、いう人がいてはります。雨男とか晴れ女とか。曇男って聞いたことないなぁ、そういや。雪女ってのはまた違う話やし、ひょう男なんてヒマラヤかどっかで見つかるか見つからんか言われてそうやし(む、ヒョウはアフリカ?)、あられ女なんて「んちゃ!」とか言うてそうやもんなぁ。風男ってのはなんかカムイ列伝を想起させるし、雷女はラムだっちゃ。地震男、火山女、台風男、雪崩れ女、小春日和男、八十八夜女。それは天候なんか、というのはさておき、そこまで来ると、ある意味宝くじに当たるよりすごいような気もしてくる。

 

 何はともあれ、僕は雨男なのだった。小春日和男じゃなくてよかった。娘を嫁にやるお母さまには人気が出そうやけど。

 

 どれくらい雨男なのか。修学旅行は全部雨でした。小学校の伊勢、中学校の九州、高校の沖縄。全部雨。他にも、大学のゼミ旅行で金沢に行った時はその年の初雪が降ったっけ。なんか行事がある度に雨が降っていたと思う。ちょいと遊びに行ったモルディブでもきっちりスコールにやられたな。他にも数え切れないくらい雨についてこられたなぁ。学生の頃、それこそ干ばつで困っているエチオピアに雨を降らせに行こうかと思ったくらい雨男っぷりがよいのだった。

 

 その雨男っぷりもここ数年下がり調子やったんですけど、ここ一年ほど、またメキメキぷりを上げてきたのだった。もしかしたら運動不足で体内が低気圧っぽいのかなぁ。献血でチェックするのでは血圧は普通やったけど。そういや最近指圧に行ってないな。ま、それはええねんけど。

 

 先月の末に台湾から友達が遊びに来た時のこと。ちょうど近畿地方が大雨になるという日で、京都は雨になると思った彼女はわざわざ大阪まで出てきて僕と茶をしばいていたのでした。あ、「茶をしばく=お茶をする」です。その間は降るとか言うてた雨が一向に降らんかったので、あぁよかったなぁ、と思っていたのですが、彼女が京都に帰った途端、空一面に稲光が走り回り、これでもかというくらいの嵐になったのでした。ま、パズーのお父さんなら楽勝で帰ってこれるくらいやったけど。ま、とにかく、帰るまで貯めとったんか、いうくらいすごかったのでした。

 

 その二日後にも京都で落ち合ってぶらぶらしたんですけど、その時もきっちり雨が降りました。しかもめっちゃ冷えたし。聞くところによると彼女は晴れ女で、一人でぶらぶらしてる時はずっと晴れてたらしいので、あんたか〜!ということになったのでした。面目ない。

 

 それから先日、その友達の香港の女の子が来阪しはったのでちょっとだけ会った時のこと。やっぱりその日も雨が降る、雨が降ると言われていて結局一緒にいる間は降らなかったんですけど、駅で別れた途端ザーッと雨が降りだしたのでした。へこみましたよ、ほんま。

 

 まぁ、もちろん僕一人の力で雨を引き寄せているのではないんやろけど、ここぞという時に雨が降るとなるとほんまたそがれてしまいますわ。かはたれてしまってもいいけど。雨は嫌やなぁ、いう時、重たくてでかい荷物持ってるとか、そういう時にですね、なんでわざわざ降るかな。どこにも行く用がない時に限って雲一つない晴天ってのが多いし。そりゃうぐいすも平安京も泣くよ。

 

 その程度のボケじゃあ、気分は晴れないよ・・・。む、フォークがほとんど落ちんかったわい。じゃあ、あぶったイカ、あ、それはちゃう歌やった。

 

 それでも雑粒は続く。

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 久しぶりに書いたと思えばいきなりこういうおっさんギャグ。行き詰まりを示すには十分過ぎる。さて、勢いでタイトルをつけたけれど、これからどうやって本文を書いていこうか。

 

 藤井寺の駅前の商店街に「藤(ふじ)」という名前の喫茶店がある。松原の駅前には「松(まつ)」という喫茶店があるし、恵我之荘の駅前には「恵(めぐみ)」という喫茶店が、土師ノ里の駅前には「土(つち)」という喫茶店がある。それぞれ近鉄系列の喫茶店とのこと。もちろんウソである。ごくごく一部の人にだけ受けたかな、と思うけど、いかがでしょうか。

 

 で、その「藤」という喫茶店に齢三十にして初めて立ち寄ったのだった、多分。ちょうど昼時、お腹が空いていて、何となく気分はカレー曜日だったので、メニューの片隅に載ってあったカレーライスを注文した。

 

 所詮喫茶店のカレー、レベル的にボンカレーだろうと思っていたけれど、これが実は本格的に作られたカレーであることが判明。カレー好きの僕に思わずスパイスの調合をあれこれ考えさせるほどおいしいカレーであった。メリケン粉をルーに使ういわゆる英国系のカレーである。最近藤井寺界隈でおいしいものを食べる機会が減ったので、これは嬉しい発見であった。機会のある方はぜひお立ち寄りください。藤井寺駅の南手の方にあります。

 

 本格カレーならば邪道ではないではないか。その通り。でも僕が今回書きたいのはそれについていた生卵のことである。あ〜、ちょいと待たれi(iMode風)。何事につけ(大きくピントのずれた)本格を求めている僕やけど、何も本格的でないからアカンというつもりはない。邪道には邪道の良さがあるし、そもそも邪道か否かは支持するものの多寡に依存するのであって本質的に本道とか邪道とかがあるわけではない。書いている内に何が言いたいのか分からなくなってきたけれど、兎に角、え〜と、とにかくカレーに生卵を入れるのってええ感じやんと言いたいのだった。

 

 思えば僕が小さい頃はカレーに生卵は付き物やった。辛口は言うに及ばず、ボンカレーの甘口(というか、もはやあれはカレーでないような気もするけど)にすら生卵を割って入れていた。本来はカレーの辛さを生卵によって緩和しようというのが狙いであろう。

 

 ところが生卵というのはチンしたらまたたく間に固まる上に暴発して掃除の手間を増やすくせに、ことカレーにぽとりと落としただけではなかなか固まらないという、なんとも偏屈な食品である。カレーに混ぜ込むとじょるりとした食感になってあまりいいものではない。ロッキーの気持ちがなんとなく分かる。熱々の温泉がいきなり水風呂になるかの如く、カレー本来の持ち味であるアチアチ感を奪ってしまうのもあまり褒められたものではない。そのような点から最近のグルメ志向の風潮の中では、カレーに生卵を落とすのは邪道とされているようである。正直なところ、僕も邪道やと思う。思っていました。

 

 が、久しぶりに生卵を落として食べてみると、懐かしいのもあるけれど、これが結構いけるのやった。なんでかなぁ、と色々考えていたけれど、それは生卵のSサイズを利用することによって熱の低下を最小限に抑え、なおかつ辛い目に作ったカレーにほどよい甘味を加えることでまろ辛い味にするという喫茶店「藤」のおばちゃんのきめ細やかな心配りに寄るものであると判明したのだった。

 

 これならきっと海原雄山も荒岩主任もミスター味ッ子も将太も納得するだろう。あ、将太は寿司か。なんでもやりすぎたらアカンのは当たり前であって、ほどほどがよい。今回のカレーに生卵も家庭で使われる大きめの卵を使ってカレーの種類を問わず入れたりするから邪道やと言われるのであって、うまくバランスを見極めればちゃんと本道になるんやなぁ、としみじみ思った次第。なんでも十把ひとからげにして単純にええか悪いかだけ考えるんやなく、それぞれの食材を活かしつつバランスを見極める目が必要なのではないか。

 

 たかが生卵、されど生卵。そう珍しくもないものから物事の本質を垣間見た気がする・・・。やっぱりオチませんでした。

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